ラグーザについて
イタリア共和国、シチリア州、ラグーザ県、ラグーザ市
海抜 520m(新市街は600m以上?)、人口 71,765人(2004年12月31日現在)、人口密度 155人/km2
地形と二つの地区 〜イブラと新市街〜
イブレオ高原の南部、海抜500〜600mの高地にサン・レオナルド洞 cava di S. Leonardo とサンタ・ドメニカ洞
cava di Santa Domenica という深くえぐられた二つの渓谷がある。この谷に挟まれるように位置しているのが
ラグーザの旧市街、イブラ Ibla地区である。
一方、二つの谷よりもさらに高地に、西の方角に広がっている地域は
ラグーザ新市街 Ragusa altaである。
ラグーザはもともと旧市街のイブラ地区のみであった。1693年1月11日に
シチリア南東部を襲った大地震により、町は壊滅的な被害を受け、人口の約半数に
相当する5000人の死者が出るに至った。地元の貴族を中心に地震後直ちに町の復興が始められたが、
一部の貴族や農民、財産のない人々は町を出て現在のサンタ・マリーア・デッレ・スカーレ教会より
上の地域を開拓し、新しい町を建設した。
この時以来、町は二つの地区に分かれ、住人たちは互いに競い合うように美しい町並みを築き上げていった。
こうして比類のない歴史的遺産が生まれ、2002年6月にはラグーザ市内の18の建造物が世界遺産に
認定された。
地元ではイブラと新市街の呼び方がいくつかある。
- 下のラグーザRagusa inferiore / ラグーザ・イブラRagusa Ibla / イブラIbla /
ラグーザ語:イウス(下)iusu (giu`)
- 上のラグーザRagusa superiore / 上のラグーザRagusa alta / 上のラグーザRagusa sopra /
新市街Ragusa nuova / ラグーザ語:上supra (sopra)
二つの主要教会と二人の守護聖人 〜サン・ジョルジョとサン・ジョヴァンニ〜

地震後のラグーザが二つの地区に分かれたことにより、それぞれが主要教会を持つことになった。
イブラのそれはドゥオーモ Duomo (司教座教会)と呼ばれ、
サン・ジョルジョ S. Giorgio (聖ゲオルギウス、セント・ジョージ)を守護聖人としている。
一方、新市街にはカッテドラーレ Cattedrale (司教座大聖堂)が置かれ、
サン・ジョヴァンニ S. Giovanni (聖ヨハネ、セント・ジョン)が守護聖人として祀られている。
左:イブラのサン・ジョヴァンニ教会(ドゥオーモ) 2007年初頭に修復完成
右:新市街のサン・ジョヴァンニ教会(カッテドラーレ)
生活
イブラと新市街中心地では、狭い土地に家々が建てられているため、縦に細長い3階建てが一般的である。
ドアを開けるといきなり階段、2階部分から居住階となる家も少なくない。細い道を挟んで家々が立ち並び、
隣とも隣接しているため、太陽を取り込む工夫が窓やテラス、バルコニーなどに見られる。
また、近所同士ではよくバルコニー越しで会話を楽しむ。
南イタリアが一般的にそうであるように、ラグーザは敬虔なカトリックの町である。各教会の守護聖人祭りに
それが良く現れている。ラグーザ人は信仰心とともに、深い郷土愛を持ち、年配者を敬い、初対面の人や
店の客にはほぼ敬語を使うという儀礼を重んずる人々である。
シチリアはマフィアと貧困の島というイメージがあるが、ラグーザには大学があるなど比較的リベラルな
雰囲気が漂い、市民の生活レベルもやや高い。また貴族の末裔も多く住んでいる。
言語
地元の人の間ではラグーザ弁 dialetto ragusanoが使われるが、観光客や他都市のイタリア人とはイタリア語が用いられる。
ラグーザ弁はシチリア語の一種類ではあるが、ラグーザ人しか理解できない言葉も多数あるため、シチリア州都のパレルモではおそらくほとんど通じない。
最も近い隣町のモディカとも多少違う。
若者はイタリア語を完全に理解するが、熟年〜老年世代ではイタリア語が話せない人々もいる。また老年世代の
古いラグーザ語は、熟年世代のラグーザ人でさえ、理解はできるが使うことはできなくなっている。
〜以下準備中〜
自然
四季 春 夏 秋 冬
自然 イブレオ山地(高原)
植物 カッルーバ
動物、つぐみ、ゴシキヒワ、ツバメ、シマフクロウ、白黒のカラス、コウモリ
見所
ユネスコ世界遺産に登録された18の建造物の他、イブラのサン・ジョルジョ門(15世紀)、バロック時代後期の教会、
バロック時代の貴族の邸宅、新市街のイブレオ考古学博物館、イブラ公園など。
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